「成長」というチャネルが無くなったときのバランスの保ち方。

読んだ。

働くことは、どういうことか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

 

この記事で言われていることは人生全体についてもあてはまるのではと思った。「成長」をよりどころにできなくなった後にどう生きればいいのか?という問題だ。

 

 

働くといってもまだアルバイトやインターンしか経験のない僕には、ここで引用されているような「企業から選別される(=弾かれる)」経験をしたことはない。けれど皆がいつまでも出世コースに入れるはずがないことは分かるし、どこかの時点で自分の落ち着きどころがはっきりするというのも容易に想像できる。

 

社会に出るまでの人生には必ず節目ごとのステップアップがあった。小学校に6年通ったら中学へ、中学に3年通ったら高校へ……というようにだ。それぞれの段階では学校の偏差値によって明確なランク付けをされ、とりあえずは高いランクに行くことが目標とされる。偏差値の高い高校に合格することが中学生活全体でのなんとなくの目標だし、それがあるからとりあえずテストでいい点を取った方がいいと思える。将来の自分のランクを少しでも上げたいという意思が、あらゆる努力の根底にあるわけだ。

 

節目ごとのステップアップは社会に出ることでとりあえず終わる。しかしもちろんそれでゴールではない。努力することはその後も求められる。そして、入社後しばらくはそのモチベーションの根底はやはり昇進というステップアップのはずだ。

 

しかしいつまでも昇進し続けるわけではない。上司の反応から分かるのか、能力値の天井が見えるのかは不明だが、どこかで限界が来る。それが分かった時、僕はまだ努力することができるのだろうか。いや、そもそも行動すること自体が可能なのだろうか。

 

 

 

別に僕は成長ばかりを考えるガツガツ人間じゃないし、努力だってほとんどしてこなかった。けれど(というかだからこそ)、努力するときにはそれが成長のためだと言い聞かせることで動くことができた。将来の自分が損をするのならとりあえず今受験勉強しないとなーと思える。未来のもうけを増やすためというのが、あらゆるモチベーションの根底にあったわけだ。

 

しかしそれがなくなったらどうなるのか。努力することで成長できないのなら、未来をより良くできないのなら、僕は何もしなくなるのではないか。

 

 

 

解決策は2つある。一つは仕事以外での成長を目指すこと。出世だけが成長することではない。ここまで書いていた成長を「社会的成長」とでも呼ぶのなら、こちらは「趣味的成長」と呼べるだろう。ゲームでもスポーツでも、仕事以外のスキルを向上させればいい。仕事はそのための資金調達だと考えるのだ。

 

そしてもう一つは未来への期待を捨てること。「今を全力で楽しむ」というのが通りのいい表現なんだろう。未来への投資をやめて、現在の快楽を優先させる。生きるために貯蓄は必要でも、時間や労力は最大限イマに向けて注ぎ込む。

 

 

 

 

人は誰でも未来を意識しながら今を生きている。この瞬間を楽しくしたいのは当然だし、その中で未来の自分も少しでも幸せにするために勉強(だけじゃないけど)をする。その配分、いつの自分に投資するかは人それぞれだし、毎日のように試行錯誤をするのだろう。

 

けれどその基盤自体が革新的に変わったらどうなるのだろう。変化に合わせて投資の比率をうまく調節する、というよりは意識の向け方自体を変えざるを得ないとき、上手に対応することはできるのだろうか。

 

 

仕事に順応できずに悩む若者やネットで見る中年のボヤキの多くはここに根っこがある気がする。昔のことは知らないけど、たぶん現代人はこの変化への対応につまずきやすい。小さいころから「未来」のことばかり考えざるを得なかったからだ。

 

 

大きな拠りどころである「社会的成長」というチャネルを失った時、現代人はどうやってバランスを撮り直せばいいのだろう。

 

 

 

 

成長を捨てたときにできるのは過去を愛でることだけかもしれない。希望のない未来を否定し過去を守ろうとする作品がコレ。