求める事の過程と到達点についてのメモ

 
 求めずにはいられないから傷つくが、それでも求めずにはいられない。だから他人について知りたければ、その人が求めるものが何かを知ればいい。ジャック・ラカン精神分析の四基本概念』には欲動についてこう書いてある。
欲動の2つの目標について検討しましょう。2つを区別するために、私はそれらを英語で書きつけます。
 
1つは「aim 狙い」、これはその人が何をもたらすかではなくて、どんな道を通過しなければいけないか、ということです。
 
もう1つの「goal 到達点」もまた、弓術における的ではありません。それは射程とした鳥そのものではなくて、矢を放ち的を射るということです。(一部改編)
 
 欲動とは、欲望よりさらに根源的な欲望のことだ。求める対象ではなく、求める行為自体に意味がある。この言葉はある意味で僕を救ってくれる。求めたものが手に入らなくても失望しなくてもいい。そもそもラカンは、求める対象は必ず手に入らないと言う。そのことに気づいたとき、視点は一段階メタ的になる。
 
 求める行為に価値があると分かった上で、改めて何を求めるのか。結果より過程だと分かったところで、過程を生み出すための目標がいる。的はいらないと分かっても、やはり矢を放つためには到達点を仮想しなければいけないのではないか。そう考えたとき、僕は再び立ちすくんでしまうのだ。
 
 もちろんラカンは、ここにも答えを用意している。欲動の対象ではなく、原因となるもの。しかしこれはあまりに不確かでイメージに堪えないものなので、ここではそれには触れないことにする。