「耳掃除をしたくなくなる」を読んでも僕の決意は揺るがなかった話
読んだ。
一言で言っちゃえば、耳かきをする必要なんてないし、そもそも耳に異物を突っ込んでも何もいいことはないとのこと。耳垢(「じこう」と読むらしい!)には耳を保護する役割があるし、顎を動かすことで不要な耳垢は勝手に体外に排出されるらしい。はへ~、人体ってすごいですね。要はタイトル通り、耳かきには何の意味もないということだ。
しかし、例えこれが正しくても耳かき過激団体(綿棒派)の僕から耳かきを取り上げることはできない!なぜなら耳かきは掃除ではなく、心の平穏のためにあるからだ。
耳かきの気持ちよさは筆舌に尽くすことができない。風呂上がりの湿った耳の水分を掬ってくれる感触。トンネルの中のような音が閉じる感じと、それをコントロールする感触。そして日常的には触れないところを表面的にはソフトに、しかし芯の部分で圧迫される感触。
ダメだ!ボキャ貧すぎてやり場のないこの感情を、言葉に表すことができない!ところが、そんな快感を件の記事は一掃する。
それは自分で「痒いから掻く」悪循環を作ってしまっているからにすぎない、とバッコウス博士は言う。耳の皮膚をこすればこするほどヒスタミンが放出され、それによって皮膚が刺激され、炎症を起こす。蚊に刺された所を掻けば掻くほどそこが痒くなるのと同じことだ。
耳かきとは虫刺されのようなもので、掻いてはいけないものを掻くことで興奮作用が起こり、さらに掻かずにはいられなくなるというのだ。確かに千理くらいあるとは思うけど、ホントにこれだけだろうか?
僕は、これに加えて耳かきが魅力的なのは自分の体に内側から触れられることにあると思う。自分の体に触るというのはもちろん、刺激に伴う興奮が伴う。それがデリケートな部分ほど強くなるのは、性感帯が腋や首、耳の裏などに多いことを見れば明らかだろう。
しかし、そう考えると身体の内側である耳の中というのは、究極に気持ちがいい個所と言えるのではないだろうか?なにしろ普段触りにくいどころか、触ってはいけないから皮膚に保護されているのだ。そんなところを綿棒ひとつで刺激できるのだから、やらない手はない。
身体の内側で触れることができるのなんて、他には性器と肛門と、口の中くらいだ。つまり耳の中というのはこれらと同等に、身体の中で最も気持ちがいい部分と言えるのではないか!(←性器はまだしも、肛門や口内がどれくらい気持ちいいかは個人の判断に任せます。)
要するにただ気持ちいい!耳掃除は気持ちいい!と、そういうことです。
詰まるところの結論は、「これを読めば耳掃除をしたくなくなる?ふざけんな、俺の耳掃除への愛はそんなもんじゃねェ!」だ。これからも僕は、耳掃除を続けると思います。