「頭の良さ」を勘違いすると結構イタいやつになるかもよ?という話

 

 僕の周り、そして僕自身がよく言ってしまう悪口に、

「あいつって、言うほど頭良くないよな」

というものがある。

 

 皆さんも使ったことはないだろうか? この言葉はたいてい自分より高い評価を得ているものに向けられるものであり、まあどう考えても嫉妬の言葉だ。僕や僕の周りが醜い嫉妬の言葉を吐いている事実はまあいい。しかしここで問題になるのは、なぜ評価されている人が「頭が悪そうに見えるか」だ。

 

 ポイントは「頭が良さそう/悪そう」という尺度だろう。義務教育時代のようなペーパーテストがない今、頭の良さの多くは会話内容で判断される。これを少し詳しく書くと、

 

① 頭の中にあるアイデア → ② 実際に発話された内容

 

 というプロセスで頭の良さは伝達される。①はこれまでの蓄積やそれをもとに瞬間的に練られたアイデア、②が発話内容だというわけだ。ちょっとした違いは気にしないとすれば、①はインプットの力、②はアウトプットの力ととらえることができる。①と②の両方が高ければ、どんな人にも頭が良いと思ってもらえるはず。

 

 

 しかし、聞き手である僕らが受け取ることができるのは、常に②のアウトプットされた発話内容だけだ。その奥で話し手がどんなアイデアを想像していたかは、絶対に知ることができない。つまり、アウトプットされた発話内容だけで僕らは相手の「頭の良さ」を計らないといけないのだ。

 

 「頭が良い」って?

 

 冒頭の悪口に戻ってみる。「あいつって、言うほど頭良くないよな」。

 ここでいう頭の良さとは、おそらく①の蓄積された情報およびそれをもとに個人で練ったアイデアのことのみを指している。インプットの力のことだ。というか、ただ漠然と「頭が良い」という時、大体の人はこちらをイメージしているのではないか。

 頭の良さはアウトプットされた情報でしか判断することはできない。なのに、上記の悪口を言う人は、絶対に可視化できないインプットの力を比べて(比べたような気になって、「あいつは本当は頭が悪い」と言っているわけだ。

 

 

 しかし、厄介なのは本当にインプットの力とアウトプットの力は限りなく独立していることだ。判断されるときはこれらの総合値しか参照できないが、頭が良いと思われたいのなら、どちらの力が足りないのかを明確にする必要がある。

 

 理想は、考えたことが過不足なく伝わることだ。この状態をインプット力:アウトプット力が1:1の状態だとしよう。ほぼすべての人はインプット力の方が強い。だから、思っていることが十分に伝えられなくて悩んでいるのだ。

 とはいってもこの割合にはかなりの差がある。1:0.8の人もいれば、1:0.05くらいの人もいるだろう。

 

 さらに厄介なのは、アウトプット力の方が強い人も想定できることだ。文字にすることでアイデアが深まったり、話しているうちによりインパクトのある伝え方を察知できる人がこれにあたる。

 そして、こちらの人こそが多くの場面で求められる人間なのだろうと思う。実際、上記の悪口を言われる=嫉妬を向けられる人は大体こういうタイプの人だ。

 

 

 何が言いたかったかというと、頭の良さというとインプット力のことを指すように思えるが、他人からの評価は常にインプット×アウトプットでなされるという非対称性を理解しないと、いつまでたっても「頭が良い」と言われる人間にはなれないということだ。

 冒頭のような悪口を言う奴は、ぐだぐだいってねーで自分のアウトプット力を磨けよ、っていう。