「普通」に埋没することの不可能性

普通の中に埋没したかった。どこにでもいるような、何の変哲もない人間として生きたかった。そしてそのまま誰にも気づかれないで消え去りたかった。「世界ににいくらでもある花」願望だ。

 

特別な人、代替不可能な人になりたいという希望はそこらで語られる。他の人とは違う自分、世界で一つだけの花になれないことに絶望し、なるべきだと叱咤される。しかしその逆、普通になりたいという希望はあまりおおっぴらにされない。集団に溶け込むことだけを渇望する若者はそれに近いが、少しずれがある。彼らはキャラ化してグループの中で固有性を持つことで承認を得ようとするのだから。

 

完全な没個性。さしたる欠点もなくしかし長所もない、そんな平均的な人間。それが一番心地よい。誰にでもできることができるから欠陥をなじられることはないが、他の人にできないことはできないから特別に必要とされることもない。集団から隔絶されるわけではないが、特別に必要ともされない。そんな「普通」の存在。

 

「普通」のパラドクス

そこには「普通」のパラドクスが立ちふさがる。全てにおいて「普通」の人間は全くの特殊だ。現に上記のような人間がいたらその人が平均的だと思われることはないだろう。普通の人は適度に固有性があり、替えのきかないつながりも持っている。それが普通に想定される普通の存在だ。

 

いつでも消え去れるような人間は普通じゃない。埋没した先にあるのは普通じゃない。普通に生まれて普通に学生をやって普通に働いて普通に結婚して普通に結婚して普通に死ぬ。そのルートをたどるためには個別的な選択肢を何度も経なければならない。固有の考えを持ってその人にしか現れない分かれ道を適度に選択するのが普通だ。しかしそれはまさに特殊そのものだ。それなら普通はどこに存在するのか?